Namo Buddha
Namo Dharma
Namo Sangha
广钦老和尚:
别人的善恶
与你何干?
他の人の善悪はあなたに何が関係あるのか?
只看到别人的过失,不审察自己的过失,是我们最大的无明习气。别人的是非善恶是别人的事,与你又何干?只要审察自己有无过失,不要去看别人的过失。
别人的行为好,我们心里不起欢喜贪著心,行为不好,也不起憎恶心,要好好按耐这个心,不起烦恼,别人不好,别人的习气,那是别人的事,如果我们拿来起烦恼,那就是自己的愚痴。这样,不论事情是好是坏,能保持这个心不动,便是忍辱。能够冲破这一关,以后无论什么事就比较不会起烦恼,这点切要好好学,好好磨炼,如此业障自然消除,身体自然也好起来。
我们自身的光明要像太阳光一样,对万物一视同仁,无物不照,好人它也照,恶人它也照,好、坏是别人的事,我们总要平等慈悲,若是与人计较,则自身也是半斤八两。
如果要省却烦恼,凡事当随从大众或他人的意见,不可强就自己的看法,只有自己的事情,可以听自己的意思,这是忍辱的方法。
那些往生西方的人,都是念佛专一,而且能忍辱吃亏的人。
我们不论到什么地方,只要抱著愿意吃苦的心态,愿意忍一切辱,吃一切亏,不畏艰苦,则照样会进步。
我们工作,不要说你现在寺里为佛做事,或为师父做,而是为消自己的业障做。我这里没有什么可学的。只是扫扫地,做些苦行。但是扫地并不是一件简单的事,要会扫,要能高高兴兴地扫,否则,扫地扫得起烦恼,无明业障反而缠上来。
我们修苦行是在藉各种事境,磨炼我们不起无明烦恼,洗除习气,锻炼做人做事的各种能耐,并不是要做什么劳力事,才叫做苦行,打破对一切顺逆境的分别,就是在修苦行。出家就是要吃苦受苦,只有在苦中才能开发智慧。
不要嫌别人这点不好,那点不好,不是别人不好,是自己的无明业感在作祟,没有智慧,不能越过。
别人没有行的,做不到的,我们一定要行得到、做得到。否则,批判别人,自己岂不也与他人同一类?
只有那些不开化、不明理的人,才会把不实在、没有的事情拿来起妄想烦恼,这也是一种妄念愚痴。
妄想多的人,须要做一些杂务事,将念头有个寄托,否则妄念纷飞,要他念佛也念不下去,只有善根利的人,可以静静地念佛念下去,一面工作,一面念佛,会渐渐地不觉得在工作,而且自然会生起平等心。
日本語バージョン
広欽老和尚:他の人の善悪はあなたに何が関係あるのか?
PART 1
クリックしてオーディオを再生
他人の過ちを見るだけで、自分の過ちを省察しないのは、私たちが持っている最大の無明の習性です。他人の是非善悪は他人の問題であり、あなたにはどう関係するのでしょうか?自分自身の過ちがあるかどうかを省察し、他人の過ちを見ることはしないでください。
他人の行いが好ましくても、私たちの心には喜びや執着の心が起きず、その行いが好ましくなくても、憎しみの心も起きません。この心を抑えて、悩まないでください。他人が悪いのは、他人の習性であり、もし私たちがそれをもって煩う理由にしたら、それは自分の愚かさです。そうすれば、物事が良かろうが悪かろうが、この心を動揺させないのを保つことができれば、それは忍耐になります。この一環を突破できれば、今後どんなことでも割合に悩まなくなるでしょう。この点はしっかりと学び、磨き、修めなければなりません。そうすれば、業障は自然と消え、体も自然と健康になるでしょう。
私たち自身の光は太陽光のように、万物に平等に照らし、いい人も悪いも照らします。善悪は他人の問題であり、私たちは常に平等に慈悲深くあらゆる人を照らさなければなりません。もし他人と言い争ったら、自分自身も他人とどんぐりの背比べになるのです。
悩みを取り除きたければ、何事も大衆や他人の意見に従っていくべきであり、自分の意見を強要するものではありません。自分のことだけなら、自分の意思に従えばよいです。これは忍耐する方法です。
西方極楽浄土に往生できた人々は、念仏に専念し、忍耐して不利な目に遭った人たちです。
私たちはどこへ行っても、苦しみを堪え忍ぶ心を持っていれば、どんな困難にも立ち向かい、間違いなく進歩することができます。
私たちの仕事は、今はお寺で仏様のために働くわけでもなく、師匠のために働くわけでもなく、自分の業障を清めるために行われています。ここで学べることは何もありません。掃除をしたり、苦行をしたりするだけですが、掃除は単純なことではありません。掃除をするのができて、楽しそうに掃除できるようにしなければなりません。そうでなければ、掃除で悩んでしまい、無明の業障が逆に巻きつきそうです。
私たちが苦行を修めるというのは、様々な状況を通じて、無明の悩みを起こさないことを磨き、習性を洗い、人間を人間たらしめる腕前を鍛え、ことにあたって磨くことです。肉体労働をするだけで苦行を修めているわけではありません。すべての順境と逆境に対する区別を打破することで、苦行を修めています。出家は苦しみを堪え忍ぶことで、苦しみの中でだけ智慧を開発することができます。
他人のこの辺が良くない、その辺が良くないと言わないでください。他人が悪いのではなく、自分の無明の業が原因で、智慧がなく、超えられないからです。
他人がやっていないこと、達成できないことは、私たちは必ずできるように達成しなければなりません。さもなければ、他人を批判する自分は他人と同じタイプになるのではないですか。
未開化、道理をわきまえない人々だけが、現実ではない、今までないことを妄想として悩むものです。これも妄念で愚かしいことです。
妄想が多い人は、雑用をすることで、心念をどこかに預けて、そうでなければ、妄想が飛び交い、念仏を続けることができません。善根が利く人々だけが、静かに念仏を続けることができるでしょう。仕事をしながら念仏を続けていけば、徐々に仕事をしているのを感じなくなるでしょうし、自然に平等心が湧いてくるでしょう。
日语翻译:圆明老师;
日语朗诵:蒋雨;