奈良东大寺建于1200多年前,当时的奈良还叫平城京,日本的国都,是个模仿大唐长安而建造的都市,繁华一时。
東大寺は1200年以上前に建てられました。当時の奈良はまだ平城京と呼ばれ、日本国の首都として、大唐(だいとう)の長安を模本にして作られた都市で、一時繁華を極めました。
东大寺因建在平城京以东,故此得名,由信奉佛教的圣武天皇于天平十二年发愿兴建的,又称大华严寺,是日本华严宗大本山,被列入了世界文化遗产。
東大寺という寺院名は、平城京の東側に建立こんりゅうされたことから名付けられたのです。
仏教を信じていた聖武天皇しょうむてんのうが天平てんぴょう12年に祈願きがんして創建そうけんされ、大華厳寺だいけごんじとも呼ばれています。日本の華厳宗の大本山であり、世界文化遺産に登録されています。
东大寺的建立源于武则天在洛阳紫微城建造天堂,以及在龙门石窟雕刻卢舍那大佛。天平十二年(740年),在光明皇后的力劝下,圣武天皇发愿“朕亦奉造”。
東大寺の建立の起源は、武 則天(ぶ そくてん)が洛陽の紫微城(しびじょう)で天堂(てんどう)を作って、そして龍門石窟(りゅうもんせっくつ)で盧遮那大仏(るしゃなだいぶつ)の彫刻を作ったからです。天平12年(740年)に、光明皇后(こうみょうこうごう)が極力忠告したもとで、聖武天皇が『朕(ちん)も建立し奉る』と祈願しました。
1998年,东大寺作为古奈良的历史遗迹的组成部分被列为世界文化遗产。
1998年には「古都奈良の文化財」として、東大寺を含む奈良の史跡が世界文化遺産に登録されています。
奈良时代,东大寺是分布日本全国各地的国分寺的中心,后被称为“总国分寺”。到了平安时代,东大寺成为一座香火鼎盛的学院式寺庙,在此可以同时专研日本佛教八大宗派的教义,即“八宗兼学”。现在,这里是华严宗的大本山。
奈良時代は、東大寺は日本全国各地の国分寺の中心であり、その後『総国分寺』と呼ばれています。平安時代になると、東大寺は線香が絶えなく学園風の寺院になりました。そのころ、ここで同時に日本仏教の八大宗派の奥義(おくぎ)をひたすら研究できるようになり、すなわち『八宗兼学』というのです。現在、ここは華厳宗の大本山となっています。
中国唐代高僧鉴真和尚曾在这里设坛授戒。 空海于奈良东大寺受具足戒,改名空海。三十一岁入唐求法。最澄(767一822年),日本近江滋贺人,十六岁出家,后在东大寺受具足式。最澄入唐,初期从天台山道邃,行满受学天台教义,从倏然习牛头禅,后从越州(今绍兴)龙兴寺,携经疏332部凡700卷及法具归国。
中国の唐代の高僧、鑑真和上はここで戒壇院を設立し、戒律を授けました。空海大師は、奈良の東大寺で具足戒を受け、空海と改名しました。三十一歳のときに入唐(にっとう)し求法(ぐほう)しました。最澄(767~822年)は、日本の近江(おうみ)滋賀県の出身であり、16歳の時に出家して、その後東大寺で具足戒を受けました。最澄は、入唐(にっとう)したころの路線は、最初は天台山(てんだいざん)の道邃(どうすい)、行满(ぎょうまん)に天台の教義を教わり、倏然(しゅくぜん)から牛頭宗(ごずしゅう)を教わり、その後は、越州(えっしゅう、今紹興)の龍興寺から、経典(きょうてん)を332部、合わせて700巻、そして法具も国に持ち帰りました。
1997年秋,出席“中韩日三国佛教友好交流会议”的三国代表曾在这里共同举行了祈祷世界和平法会。
1997年の秋に、『中韓日三国仏教友好交流会』に出席された代表たちは、ここで共同して世界平和祈願法会を行いました。
东大寺不仅仅是世界第一大木建筑古寺,更是代表了文化传承的桥梁。
東大寺は世界一の木造建築の古寺だけでなく、さらには文化の伝承の橋を代表しているとも言えます。
墨宝:山川异域 风月同天 寄诸佛子 共结来缘