流传了六百多年的修行要诀,同时也是安身立命的智慧指南,您知道多少?

2025-01-11 09:03:00 发布: 人气:20







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早在元明之际,公元1395年,宁波鄞州区有一位学习天台宗的大师,名叫妙叶法师,又称妙协法师。


天台宗特别注重教理,其行门为“教学天台,行归净土”。妙叶法师修行时写了《宝王三昧论》。


《宝王三昧论》实际上有上下卷,我这里拣择最重要的部分为大家讲解,这都是提醒我们修行人的。



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《宝王三昧论》


一念身不求无病,身无病则贪欲易生。

一个人身体很健康,就会忘乎所以。

二处世不求无难,世无难则骄奢必起。

三究心不求无障,心无障则所学躐等。

四立行不求无魔,行无魔则誓愿不坚。

五谋事不求易成,事易成则志存轻慢。

六交情不求益吾,交益吾则亏损道义。


遇到什么事都想占便宜,这就会亏损道义,不要只做对自己好的事。


七于人不求顺适,人顺适则心必自矜。


与人打交道时,不要让大家都顺着我。如果什么都顺着自己,自己就开始端起架子。


八施德不求望报,德望报则意有所图。


做好事不要想着别人的报答。如果做好事就想着别人报答,意有所图,就不叫做好事了。


九见利不求沾分,利沾分则痴心亦动。


有好事自己不要想:哎呀,我也要揩一点油。


十被抑不求申明,抑申明则怨恨滋生。


受到委屈时不要申明,索性就忍辱。你一申辩,辩来辩去还辩不明白,怨恨就会生起来。


如果忍辱就挺好的,我忍着,冤枉我就冤枉我,自己心里面笑笑,这样人就会越来越厚重,而且相貌越来越好。


蕅益大师的“十不求行”原文如下:


一、念身不求无病。身无病则贪欲乃生,贪欲生必破戒退道;知病性空,病不能恼,以病苦为良药。


二、处世不求无难。世无难则骄奢必起,骄奢起必欺压一切;体难本妄,难亦奚伤,以患难为解脱。


三、究心不求无障。心无障则所学躐等,学躐等必未得谓得;解障无根,即障自寂,以障碍为逍遥。


四、立行不求无魔。行无魔则誓愿不坚,愿不坚必未证谓证;究魔无根,魔何能扰,以群魔为法侣。


五、谋事不求易成。事易成则志存轻慢,志轻慢则必称我有能;成事随业,事不由能,以事难为安乐。


六、交情不求益我。情益我则亏失道义,亏道义必见人之非;察情有因,情乃依缘,以弊交为资粮。


七、于人不求顺适。人顺适则内必骄矜,内骄矜必执我之是;悟人处世,人但酬报,以逆人为园林。


八、施德不求望报。望报则意有所图,意有图必华名欲扬;明德无性,德亦非实,以施德为弃屣。


九、见利不求沾分。利沾分则痴心必动,痴心动必贪利毁生;世利本空,利莫妄求,以疏利为富贵。


十、被抑不求申明。抑申明则人我未忘,存人我必怨恨滋生;忍抑为谦,抑有何伤,以受抑为行门。

 


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是故圣人设化,以病苦为良药,以患难为逍遥,以遮障为解脱,以群魔为法侣,以留难为成就,以敝交为资粮,以逆人为园林,以布德为弃屣,以疏利为富贵,以屈抑为行门。


你做好这样的准备了,你有这个功夫了。


居碍反通,求通反碍,是以如来于障碍中得菩提道,至若鸯掘摩罗之辈,提婆达多之徒,皆来作逆,而我佛悉与记莂,化令成佛。


在电视剧《佛陀传》中,释迦牟尼佛一生下来,就被堂兄提婆达多深深嫉恨,想尽办法害他。佛陀出家、成佛后,提婆达多发现没有竞争对手,觉得没意思了,于是也去出家,继续跟佛陀作对。


鸯掘摩罗是一个“大魔头”,他所在的村庄,不仅没人敢走夜路,白天也没有人敢独行。


佛陀正在路上走着,可怕的一幕发生了,杀人魔王鸯掘摩罗提着刀,从树后蹿出,想杀死佛陀。虽然杀人魔王面色漆黑,头发蓬乱,如同疯癫,佛陀却透过肮脏的面庞直视他的眼睛,解读他的心灵。


佛陀看着他的眼睛说:“你以前不是这么坏的人啊,你愿意做这样的杀人魔王吗?”被佛陀说中心底的鸯掘摩罗痛哭流涕,两行清泪洗刷着肮脏的脸庞。


最后他把刀丢在一边,虔诚跪在佛陀面前:“在这个世界上,我从没有遇到像您这样的人。一看到您,我的心就能宁静下来。您的语言抚平了我心灵的伤痛,使我能够安宁下来。”


在佛陀的感化下,杀人不眨眼的大魔王竟然放下屠刀,老百姓们目睹此景不禁目瞪口呆。正是面对这样的凶恶暴徒,才能显出佛陀的威德力,以及他的功德圆满。这种智慧和品德,东方人本身就具有,但如今在社会上不够普及。


中国有句古话:“天欲祸之,必先福之;天欲福之,必先祸之。”这个观点多么辩证。与妙叶法师所说的“居碍反通,求通反碍”,是相似的道理。


--三参法师





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六百年以上も続く人として生きる道理、どれくらい知っていますか?——禅宗の至論を詳しく解釈する僧侶に耳を傾けましょう。元明時代に遡り、紀元1395年、寧波の鄞州地区で天台宗を学ぶ大师がいました。その名は妙葉法师、または妙協法师とも呼ばれます。天台宗は特に教理に重きを置いており、その行動の原則は「教義は天台に学び、行動は浄土に帰す」というものです。妙葉法师は修行中に『宝王三昧論』を書きました。『宝王三昧論』は実際には上下の巻がありますが、ここでは最も重要な部分だけを選び、皆さんに説明します。これらは私たちの修行者への注意喚起です。


『宝王三昧論』

一、身に病気がないことを求めず、身に病気がなければ欲が簡単に生まれる。健康な体を持っていると、有頂天になって自分を見失いがちです。

二、処世に困難がないことを求めず、処世に困難がなければ傲慢と奢侈になり、自分勝手で贅沢三昧のことが必ず発生する。

三、心の正体を見極めるには妨げがないことを求めず、心に妨げがなければ学びが順番に従わず進みすぎてしまう。

四、行動の計画を立てるのに魔がないことを求めず、行動を進めるには魔がなければ誓約が強固でない。

五、計画を容易に成功させることを求めず、計画が簡単に成功すれば軽蔑的な心が湧きがちになる。

六、友情に私的利益を求めず、私的利益を求めすぎると道義が損なわれる。

何でも自分に有利なことばかりを考えるなら、道義が損なわれる。自分だけに良いことをしないのだ。

七、人との交際の時に順調を求めず、人は順調であれば必ず自慢になる。他人と付き合う際に、皆が自分の都合に合わせるのを求めないこと。すべてが自分の都合に合わせれば、自分は尊大でもったいぶった態度で偉そうに威張り散らす。

八、徳を施す時にその報いを期待しないで、期待すれば意図的なことになる。良いことをするのに他人からの恩返しや報いを期待しないことだ。良いことをするのに他人からの恩返しや報いを期待すれば、意図的なことになり良いことだとは言えない。

九、メリットを見たときに、その利益の分かち合いを求めず、金銭問題とか利益とかのことに絡むと愚かな心が動く。良いことが訪れた場合に、自分も旨い汁を吸いたいなと思ったりしてはならないこと。

十、いわれのない非難をされたときに不平を述べたり明らかにしたりしないこと。不平を言ったりすると恨みが生まれやすい。不当な扱いを受けても不平を言わないのだ。寧ろ忍び耐えよう。弁明をすると、弁明を重ねても理解されず、恨みが生まれる。忍び耐えるのがいい。私を誤解されても、心の中で笑って、人は徐々に深みを持ち、容姿も良くなってくる。だから、聖人は教化することをいろいろ工夫しています。病の苦しみを良い薬として、患難を自在として、遮障しゃしょうを解脱として、群がる魔を法の友として、難関を成就として、良き友を資糧として、自分に逆らう人を庭園として、徳を施したことをいつも心に留めないで、くたびれた靴を捨てたと同じように自然に忘れる。眼前の小さな利益を欲することではなく、利益を分散し、より大きな富と貴さを積み重ねる。(個人的な利益を過度に追求せず、利益を共有し、利他的な行動を重んじ、このような行動を通じて徳行や人脈を積み重ね、最終的に真の富と貴さの状態に達します)。困難や抑圧に直面したとき、急いで弁解したり反発したりせず、これらの困難や抑圧を修行の入り口として、忍耐と粘り強く持続することによって自分の品性を高める。(逆境の中で謙虚さと忍耐を保ち、これらの経験を精神的な成長と進歩に変える。要するに、人生における困難や誘惑に直面したとき、超然とした利他的な心構えを保ち、精神的な豊かさと成長を実現するようにする。)

このような心構えができれば、それなりの成就も伴ってくる。碍がい(妨げのある境地)にいながらも返って通りやすく、その通りの順調ばかりを求めたら逆に障碍が起こりかねない。だから如来は障碍の中で菩提の道を得る。そして鸯掘摩羅のような輩や、提婆達多のような徒党ととうが逆縁を起こすにしても、我が仏は皆に預言を与え、教化して成仏させる。テレビドラマの「ブッダ伝」では、釈迦牟尼仏が生まれたばかりの頃、従兄弟の提婆達多に深く嫉妬され、何とかして仏陀に害を加えようとしました。仏陀が出家して成佛した後、提婆達多は競争の相手がいなくなるのに気づき、つまらないと思って、そして出家してまた仏陀に逆らうことを続けました。鸯掘摩羅は「大魔王」で、彼が住む村では夜間だけでなく、真昼間でも一人で勇敢に歩く者がいませんでした。仏陀が道を歩いていた時、恐ろしい一幕が起こりました。殺人魔王の鸯掘摩羅がナイフを手に提げて、木の後ろの方向から飛び出して仏陀を殺そうとしました。殺人魔王は顔が真っ黒で、髪が乱れていて狂気じみていたが、仏陀はその汚い顔を透過して彼の目を見つめ、彼の心を読み取りました。仏陀は彼の目を見ながらこう仰いました。「あなたはもともとこんなに悪い人ではなかったですね。本当にこのような殺人魔王になりたいですか?」。心の奥に触れた鸯掘摩羅は慟哭どうこくして涙を流し、涙が汚い顔を洗い流しました。最後に彼はナイフを捨てて、謙虚に仏陀の前にひざまずいて、「この世の中で、いままであなたのような人には出会ったことがありません。あなたを一見すると、私の心が落ち着いて穏やかになってきます。お言葉が私の心の痛みを癒して、私を落ち着かせます。」と言いました。仏陀の感化のもとで、殺人大魔王が刃物を捨てて、村民たちはその光景を見て、呆気に取られました。このような凶悪な暴力団に直面してこそ、仏陀の威徳力と彼の功徳の円満さを示すことができます。このような知性和徳性は、東洋人はもともと持っているが、今は社会で普及されておらずにいます。中国にはこのような古い言葉があります。「天は災いをもたらすには、まず福を与え、福を与えるには、まず災いを与える。」この見方はどれほど弁証法的なことでしょう。妙葉法师が仰った通り、「碍がい(妨げのある境地)にいながらも返って通りやすく、その通りの順調ばかりを求めたら逆に障碍が起こりかねない」と同じような道理です。






日语翻译:圆明老师
日语朗诵:蒋雨


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