正月初七,人寿年丰|传递心灯,让心回家

2025-02-04 09:01:00 发布: 人气:2
图片
图片
图片


点击收听日语朗诵



我们在慧日寺已经二十一年了,没有在这个院墙里去精雕细琢,而是把钱物、精力都用在弘扬佛法上。把大地作为我们的道场,把苦难众生作为我们的道场,把我们中华文明的复兴作为我们的志向,把提高我们中华大地上的父老乡亲的文化素养作为我们的事业,以文化兴教,也传承着佛教崇俭戒奢的优良传统。


我们学佛的人考虑的是生命的质量,是幸福的指数,是穿透物质的表象,看到它内在的真相。所以,虽然我们的法堂很简陋,但它在天地间是有价值的。


透过表象看真相,通过生灭的轮回看不生不灭的净土,这其实就是我们人类的最高文明了。再高的科技也只是知识层面,也只是工具的层面,它不是生命的目标,甚至我们还要预防歧途,要守住我们生命属性的净土。


图片



图片


图片

于万法中看到实相



尤其近一两百年来,已经成为我们人类主流观念的唯物主义,会剥夺我们的生命属性。因为现在唯物的概念里是看不到这个轮回的大命题的,所以才不承认因果、不承认轮回。


施一公作为现代的科学家,在一次公开演讲上就讲到:“科学上没有所谓的真理,都是前人对自然现象的归纳总结,是现状下最好的归纳总结,可以有效解释自然现象,甚至推测一些还未发现的现象。也许这些定理定律和公理可以非常接近真理,但这些定律和公理仅仅是对现实的近似描述,都不是永恒的真理,随着人类对周围环境和宇宙认识的加深,这些定律和公理都有失效的时候。”


也就是说,工具学层面永远是二元的,我们要跳出这个轮回的世界,就不能指望着这个二元的观念能够解决我们的烦恼,因为烦恼是解决不了烦恼的,只有智慧才能转烦恼。




图片
图片


图片



宋代著名禅师圆悟克勤大师直接提出“佛法即是世法,世法即是佛法”,对一个大彻大悟的人来说,世法、佛法是不二的,在他眼睛里是不着一切相的,一切法皆可以是佛法,所以他可以那么说。我们平凡人要做的是趋向于开悟、趋向于正觉,在世间中要保持着觉醒、觉悟,分清世法是轮回法,是有漏法,是陷阱,要从万法中看到实相,这个才是我们要开显的智慧,这是我们每一个凡夫都可以做到的。


修行人在因地上处处要保持正觉,叫“佛法不离世间觉”,因地的行为和果地的行为、智慧是不一样的,诸佛菩萨来娑婆世界也会行在因中,把自己果地的智慧威德隐蔽起来。所以,一个人纵使证悟到“佛法即是世法、世法即是佛法”,他也应当保密的,精勤地行在因中。


我们走进了寺院,结过了佛缘,把寺院的智慧延续在生命里,然后坚守着它,生命的维度就会渐渐地得到提升,超越了凡尘,我们在人群中就会显得卓尔不群,然后就会洁身自好,会有一份文化自信和文化坚守。所以,来寺院就是来传递心灯的,这个是最重要的。




图片



图片



图片


  日语版

「心の灯火を伝え、心を故郷に帰す」



向上滑动阅览完整版日语翻译


私たちは慧日寺で21年間も過ごしておりますが、この寺院の庭や壁の工事に取り組んで巧みに施すことなく、お金や物品、精力を生かして、主に仏法の普及に力を入れています。大地を我々の道場とし、苦難にいる衆生を私たちの道場とし、中華文明の復興を私たちの志とし、中華大地の里に暮らしている親族の素養を高めることを私たちの事業とし、文化を通じて教育を興おこし、そして、仏教の『崇倹戒奢』(「倹約を称賛し、奢侈(しゃし)を戒める」という優良伝統を伝えています。

我々のような仏陀を学ぶ人々は、生命の質、幸福の指標を考慮し、物質の表象を見極め、その内面にある真実を見抜くことを考えています。そのため、私たちの法堂はとても簡素ですが、天地の間にはとても価値があります。

表象を通じて真実を見抜き、生滅している輪廻を通じて不生不滅(ふしょうふめつ)の浄土を見ます。実はこれは私たち人類の最高の文明です。どんなに高度な技術でも、知識のレベルの層に留まり、ツールのレベルの層だけであり、生命の目標ではありません。さらに、私たちは誤った道を防ぐ必要があり、私たちの生命としての属性の浄土を守る必要があります。

森羅万象の中で実相を見抜く

特にここ100~200年以来、私たち人類の主流的な観念となっている唯物論ゆいぶつろんは、私たちの生命としての属性を奪ってしまう恐れがあります。なぜなら、現在の唯物論の概念では、この輪廻という大きな課題が見られず、因果や輪廻を認めないからです。

施一公という現代の科学者は、公開講演で次のように述べています。「科学上ではいわゆる真理というものはありません。あくまでもそれは前人が自然現象に対する帰納的なまとめであり、目下で最も良いまとめであり、自然現象を効果的に解説したり、乃至まだ発見されていない現象を推測したりできます。確かにこういった定理、定律、公理は非常に真理に近いかもしれませんが、これらの定律と公理はただ現実に対する近似的な説明に過ぎず、全部永遠の真理ではありません。人類が周囲の環境や宇宙に対する認識が深まるにつれて、これらの定律と公理は無効になるときがあります。」

つまり、ツールの層は永遠に二元的であり、私たちはこの輪廻の世界から抜け出そうと思えば、この二元的な考え方を期待してはいけません。なぜなら、悩みは悩みを解決することができなく、知恵でだけ悩みを転じることができるからです。

宋代の著名な禅僧、円悟克勤大師は、「仏法は世法であり、世法は仏法だ」と直接述べていました。大悟した人にとっては、世法(せほう)と仏法は不二(ふに)であり、彼の目にはすべての相に執着しないで、すべての法が仏法になれます。だからそう言えます。しかし、私たちのような平凡の人々がやらなければならないのは、悟り、正覚(しょうかく)の方向に向かって頑張っていくことです。世間で目覚め、自覚(じかく)を保つことです。そして、世法(せほう)は輪廻の法であり、有漏(うろ、いろいろな欲望や迷いの心を持っていること)の法であり、罠であることをわきまえて、森羅万象の中から実相を見抜くことができることこそ、私たちが開発し示させるべき知恵です。これは私たちのすべての凡人ができることです。

修行する人は因としての位置で常に正覚を保つ必要があります。「仏法は世間の覚を離れない」と言われていますが、因位(いんい)としての行為と果位(かい)としての行為、知恵は異なります。諸仏菩薩もこの娑婆世界にお越しになるとき、因位(いんい)で行動し、果位にある知恵と威徳を隠します。だから、たとえ「仏法は世法であり、世法は即ち仏法だ」と悟ったとしても、彼も秘密を守り、精進して因の地位をもって、行動すべきです。

私たちは寺院に入って、仏縁を結び、寺院の知恵を私たちの生命の中にまで延ばして引き継いで、それを守り続けます。その結果、私たちの生命的次元は徐々に向上し、俗世間を超え、私たちは人々の中で群を抜いて優れる存在になります。そして、身を清く保ち、悪に染まらないで、文化に対する自信と文化に対する堅守をすることができるようになります。だから、寺院に来るということは、心の灯火を伝えていくということで、これが最も重要なのです。





翻译:圆明老师

朗诵:蒋雨



THE END

图片
图片



相关文章
· 修行的每一步都考量到一个人的福报
· 立春 || 立志改变自己,趋于圆满,戒恶修善
· 正月初五“迎财神” || 什么才是我们生命中真正的财富?
· 巳巳如意,生生不息
· 神奇的时光|积累功德法财
· 送给您最美好的新年祝愿
· 大年初三|福报,可以代代相传
· 新年,愿你看到无量的时光
· 新年,我们这样为家国祈福
· 新年学习《心经》消灾免难增福慧|我们一起观自在!
· 你对三宝的信仰,能走多远?
· 菩提路上,相互成就
· 我们享的福,从这里来
· 吉祥的状态是什么?
· 腊月小年话修行
· 迎祥纳福过小年 | 恭迎监斋菩萨圣诞
· 关于“我”的真相
· 印光大师说,这样的人,宿有善根
· 修行要沉稳,也要振奋精神
· 当我们的心安住了,就在莲华里