珍惜当下这种共修的机会

2024-12-01 09:00:00 发布: 人气:16
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依了义者,了义者名为知足,终不诈现威仪清白,憍慢自高,贪求利养,亦于如来随宜方便所说法中不生执著,是名了义。若有能住如是等中,当知是人则为已得住第一义。是故名为依了义经。不依不了义,不了义者,如经中说,一切烧燃,一切无常,一切皆苦,一切皆空,一切无我,是名不了义。何以故?以不能了如是义故,令诸众生堕阿鼻狱。所以者何?以取著故,于义不了。


--《大般涅槃经》






日本語バージョン


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今のこの共同修行の機会を大切にしてください



 

了義者と呼ばれるものは、知足であり、決して偽善的な威儀を装うことなく、傲慢を持ち、利益を求めることなく、また如来が適宜に方便を用いて述べられた法に執着しない者である。もしその了義の中に住めば、これが第一義に住む者とされ、そのために了義経に依ると言われています。不了義者に依らないこと。不了義とは、経典で述べられているように、すべてが燃え尽き、すべてが無常で、すべてが苦しみで、すべてが空で、すべてが無我である、これが不了義者とされています。なぜなら、このような真義を理解できないからで、多くの衆生を阿鼻地狱に落ちさせるからです。なぜなら、執着して、真義が理解できていないからです。


--《大般涅槃経》



知見

釈迦牟尼仏は《涅槃経》の中で「了義」と「不了義」の問題を何度も強調しています。了義の人にとっては何もかも了義であり、不了義の人にとっては何もかも不了義です。

だから釈迦牟尼仏が在世の時、衆生は返って彼の在世のために堕落するかもしれません。しかし、仏陀は自由自在で、なぜあなたのチャンネルであなたを堕落させる必要がありますか。彼は空間や時間を少しだけ動かすだけで、私たちとは異なるチャンネルにいますので、私たちは彼が見えなくなります。

位置づけ

仏法どころか、世俗の法で理性的で道徳的な正しい判断をするには、ある種の位置づけが必要です。少しでも外れると間違ってしまいます。人と人との間に異なる知見があると、異なる結果が出るし、運命も異なります。二度と会うことはないでしょう。

携帯電話のように、あなたの電話が鳴ったら、他の人の携帯電話はどうして鳴らないのでしょうか。周波数が違うからです。あなたは私という人を見ることができますが、私の思想は見えますか。見えませんよね。だから私たち人間は言語でコミュニケーションを取り、これは最も簡単な方法です。

昔の人たちは、「半分の『論語』で天下を治める」と言っていました。では、『論語』は何を語っているのでしょうか。孔子と生徒の間の雑談、家庭の話です。釈迦牟尼仏が語る千経万論も、結局は「心を語る」(打ち明け話をする)こと以外にありません。

釈迦牟尼仏はこのようなコミュニケーションを通じて、衆生が共通乗の認識から、仏陀と共通の価値認識を形成させ、そして仏陀の知恵の導きのもとで、道の趣向と意欲まで高めさせ、皆さんを正しい仏法の知見に導いていくためです。

衆生をこの輪廻の世界から平地を歩くように導いて抜けて出ることなんて、容易いことではありません。

(浙江省紹興市)新昌大仏寺は智者大師が涅槃した場所であり、その涅槃記念塔、衣缽塔には、智者大師が自ら口から言った言葉が刻まれています。「自己を不利に立たせ、他人を助ける」ということばです。自分の修行の境地を外部に共有することは、自分には損害を与えます。だから智者大師は入滅する前に慈悲深く皆に告げました。「もし私は大衆を率いなかったら、間違いなく六根を清浄させることができます。だが、他人のために自己を犠牲にして、ただの五品位です」(仁禅法師「浄土十疑論講義」より)

自己保護は当然のことであり、これは生命の最も原始的な状態です。人はどれほどの深い考えを経てはじめて利他を生命の選択とすることができるのでしょか。。

道心

だから私たち仏教徒はゆっくりと育てなければなりません。その過程で気づくでしょうが、もともと仏教を学ぶのは簡単だと思っていたのですが、学ぶほど自分が持っている業障が多くなることに気づくでしょう。だから茅葺きの小屋に住みたくなり、一人で深い山奥に行きたいという気持ちが出てきます。これも道心がある証拠です。

もしあなたが一人でいることを黄金のように貴重だと感じるなら、人混みの中でも一人暮らしの優良な品格を保つことができます。もしこのような優良な品格がなければ、山に一人で住ませて、あなたは絶対的に自由になり、絶対的に個体になっていても、あなたの心は「道」にはありません。蚊やアリで手いっぱいです。

実は、もし道心があれば、自分自身で一人でいて寂しさを楽しむ機会を見つけるのはとても簡単です。しかし、毎日弟子と雑談する师父を見つけるのは本当に難しいです。

だから人々は次のようにまとめました。外界との往来を閉ざすのは簡単です。経典を聴聞したり、聞法値遇(もんぼうちぐ、直接に仏法を聞く機会に巡り合う)するのは非常に難しいです。だから一方では皆さんに独立した思考能力を持つことを望んで、「寂しさ」という独立した品格を大切にしてもらいと思いながらも、しかしもう一方では、この共同修行の機会を大切にしなければなりません。こんなチャンスに巡り合えるのはなかなか容易なことではなく、極めて貴重なものなのです。









01

知见


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佛陀在《涅槃经》里反复强调“了义”和“不了义”这个问题。


所以佛陀在世,众生反而会因为祂的住世而堕落。但佛陀是自在的,祂为什么一定要在你的频道里让你堕落呢?衪从空间上、时间上稍微拨一点点,就跟我们不在同一个频道上了,我们就看不见衪了。




02

定位

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不要说佛法了,连世间法尽量要有一个理性的、道德的正确判定,都需要有一种定位,如果偏一点就不对了。人与人之间,持有不同的知见就会有不同的结果,命运也不一样的,再不会相见的。


就像手机一样,你的电话铃响了,别人的手机为什么不会响?因为频率不一样。你看得到我这个人,但是你看得到我的思想吗?看不到的,所以我们人类用语言交流,这是最简便的方法。


过去人说,“半部《论语》治天下”。那《论语》讲的是什么呢?就是孔子与学生之间的聊天,拉家常。佛陀讲的千经万论,也无外乎“谈心”而已。


佛陀就是通过这种交流,使众生从共同乘上的认知,与佛陀形成共同的价值认知,进而随着佛陀的智慧引导,提升到道的趣向和意乐上来,就是为了要把大家带到佛法的正确知见里。

要引领众生如履平地一样走出这个轮回的世界,是不容易的。


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新昌大佛寺是智者大师涅槃的地方,涅槃纪念塔、衣钵塔里刻着一幅字,上面有智者大师亲口说的一句话:“损己利他。”把自己的修行境界分享出去,对自己是会有损害的。所以智者大师入灭前曾慈悲地告诉大众:“吾不领众,必净六根。为他损己,只是五品位耳。”(摘自仁禅法师《净土十疑论讲记》)



03

道心

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所以我们佛弟子要慢慢培养,在这个过程中就会发现,本来觉得学佛很简单的,没想越学越发现原来自己有这么多业障。所以就会表现出想去住茅蓬,想一个人跑到深山老林里修行。这也算有道心的。


如果你觉得独处如黄金一般珍贵,那你在人群里也可以保持着独处的优良品格。如果没有这种优良品格,让你一个人住在山上,虽然你绝对自由了,绝对个体了,但是你的心并不在“道”上,蚊子和蚂蚁就够你忙的了。


其实,如果有道心了,想找一个自己独处和享受寂寞的机会,是很好找的,但是要想找一个天天陪弟子聊天的师父,还真不好找。


所以就有人总结:闭关,是简单的;听经闻法,是难遭难遇的。所以一方面希望大家有独立思考的能力,珍惜“寂寞”这样一种独立品格,但是另一方面,也要珍惜这种共修的机会,它来之不易,所以弥足珍贵。




END



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