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众生觉得寂寞的时候,恰恰是修行人用功的最好的时候。在这种宁静中,脚踏实地地打好修行的基础。
我师父讲,出家人白天的时间交给常住,一早一晚的时间属于自己。唐朝的法海禅师,他的父亲裴休,是一代名相,送他出家的时候,作了《警策箴》,劝勉其精勤向道,莫荒废出家修道的大好机缘。
《警策箴》
唐 · 裴休
汝及出家须立志,求师学道莫容易。
烧香换水要殷勤,佛殿僧堂勤扫拭。
莫闲游,莫嬉戏,出入分明说处去。
三朝五日不归家,妙法何曾闻一句。
敬师兄,训师弟,莫在空门争闲气。
上恭下敬要谦和,莫轻他人自逞势。
衣食难,非容易,何必千般求细腻。
清斋薄粥但寻常,粗布麻衣随分际。
荣华止在紫罗袍,有道何须黄金贵。
解三空,明四智,要超初果至十地。
礼观音,持势至,别人睡时你休睡。
三更宿尽五更初,好向释迦金殿内。
点明灯,换净水,礼拜如来求智慧。
报答爹娘养育恩,天龙八部生欢喜。
所以,我们每天坐在法堂里,心能不能沉淀下来?为什么我们每天都要止静一下?止静就相当于沉淀,让自己的业障尘埃落定,能显发一丝自性出来。
在这么重要的修行场所,我们要学会删除自己的小烦恼,不要还拼命地保持着它的存在,不要还困在自己的我执里。人就是这样的,有了大目标,就会超越小烦恼。
こんなに重要な修行場所で、私たちは自分の小さな悩みを削除するスキルを身につけなけれなりません。相変わらずその存在を懸命に保ち続けようとしてはいけませんし、自分の我執にとらわれ続けてはいけません。人間はそういうもので、大きな目標があれば、小さな悩みを超えることができます。
所以,我们这个团队很重要,因为这个团队是有传承的,它有佛陀法身的现量的加持和圣言量的加持,还有我们师父保持下来的佛门的文化传承的加持。
佛法之所以出现在轮回的苦海里,并不是众生业力显现的,而是诸佛不忍众生苦的悲悯之心在这世间显现的最大的力量。
仏法が輪廻の苦海に現れてくるのは、衆生の業力(ごうりき)のもとで現れたのではなく、諸仏が衆生の苦しみを忍ばれない慈しみの心から、この世に現れてくる最大の力量です。
所以,我们念观音心咒---“嗡嘛呢呗美吽”的时候,要长养自己悲心的资粮。有了悲心的资粮,才能启动六字大明咒的大悲的“关钥”。
その故に、私たちが観音菩薩の心である真言「オン・マ・ネ・ベ・メ・ホン」を唱える時、自分の慈悲心としての資糧(土台)を育てなければなりません。慈悲心の資糧(土台)があってからはじめて、六字大明呪の大悲の「鍵」を起動することができるのです。
自己没有悲心,念这个咒往往就没有悲心;有悲心的人念这个咒,就能相应于它的能量,也能触发诸佛的大悲种子,诸佛大悲微妙心就会放射光明,利益无量的众生。
在五台圣地,我们每个人都有一个莲台,每个人在这个莲台上都可以修正自己的心。这不仅仅是千年古刹的复兴,是中华民族文化的复兴,最主要的是,我们有了一个解脱的殊胜机缘。
五台山の聖地では、私たち一人一人が蓮台を一つ持っており、みんながその蓮台の上で自分の心を正すことができます。これは千年古刹の復興だけではなく、中華民族の文化的復興でもありますが、最も重要なのは、私たちが解脱の優れた機縁を持つようになったということです。
古人多么清净啊!所以,为什么我们哪怕受八关斋戒都要忆念清净阿罗汉、圣贤阿罗汉?我们在圣地也是要忆念圣者们,希望得到他们的清净的加被。
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衆生が寂しがると感じている時、折りよくそれは修行するのに最も良いタイミングになります。
衆生が寂しがると感じる時、ちょうど具合よくそれは修行者が精進するのに最も良い頃合になります。その平静の中で、落ち着いてしっかりして修行の基礎を築いて固めるのです。
私の師父はこう言いました。出家の人々は日中の時間を常住に捧げ、朝晩の時間を自分に属させる。唐の法海禅師は、彼のお父さんの裴休が一代の名宰相で、彼の出家を見送る際に『警策箴(けいさくの諭告)』を作って、彼に精進を勧めて道(どう)に向けるように、出家して修道する絶好の機縁を無駄にしないようにと励ました。
『警策箴』
唐·裴休
汝及出家須立志、求師学道莫容易。
焼香換水要殷勤、仏殿僧堂勤扫拭。
莫閑遊、莫戯嬉、出入分明说处去。
三朝五日不帰家、妙法何曾聞一句。
敬師兄、訓師弟、莫在空門争閑気。
上恭下敬要謙和、莫軽他人自逞勢。
衣食難、非容易、何必千般求細致。
清斎薄粥但平常、粗布麻衣随分際。
栄華止在紫羅袍、有道何須黄金貴。
解三空、明四智、要超初果至十地。
礼観音、持勢至、别人睡時你休睡。
三更宿尽五更初、好向釈迦金殿内。
点明灯、換净水、礼拝如来求智慧。
報答爹娘養育恩、天龙八部生歓喜。
私たちはここで毎日映画を見たりしていることも、時には励ましの一つにもなります。皆さんが普段気づかずに散らばっている功徳を、聴こえる、見ることができるビデオや文章で表現することで、一方では総括ができますし、他方では自分自身にも随喜します(自分のなす善を見て、それに従い、喜びの心を生じること)
時には、私はある人に自分の今の長所を記録するようにと励んであげましたが、この長所があるから将来必ず良くなるかというと、そうとは限らないのです。
同様に、私たちは毎日自分の短所にも直面する勇気が必要です。その欠点がいつか自然に消えるのを期待できるのだろうか。もしそれに気をつけず、その過失も知らず、修正もしておかなければ、それはやはりそのままに存続していきます。
人生は常に次々に試練を経験していきます。迷った時は、迷った苦しみがあります。たとえ仏教を学んでも、それもそれなりの悩みがあります。
悟りは一分咲きになっているが、ひょっとして正義の力が強くなれば、それだけ邪悪の勢力も強くなる(道が一尺[いっしゃく]高くなっても、魔は一丈高くなる)恐れがあります。業障が掻き回されると、埃が一層(一丈)高くなります。なぜなら、その一丈の埃は私たちが過去の無量劫で積み上げてきたものですから。私たち自分一人の分はすでにこんなに多いのに、況しては家族、親戚、友達の分も含まれています!
だから、私たちは毎日法堂に座り、心が静まるのかと問われるべきです。なぜ私たちは毎日しばらく止(とど)めて静かにしなければならないのでしょうか。止(とど)めて静かになるということは、即ち沈殿に相当し、自分の業障の埃を沈めさせ、少し自性(の光)を示すことができ、現れてくるようになるからです。
こんなに重要な修行場所で、私たちは自分の小さな悩みを削除するスキルを身につけなけれなりません。相変わらずその存在を懸命に保ち続けようとしてはいけませんし、自分の我執にとらわれ続けてはいけません。人間はそういうもので、大きな目標があれば、小さな悩みを超えることができます。
従って、私たちのチームは非常に重要です。このチームは由緒正しい伝承があるからです。私たちのチームは仏陀の法身の現量(げんりょう)の加持と聖言(せいげん)の加持、そして私たちの師父が維持してきた仏門の文化伝承の加護があります。
仏法が輪廻の苦海に現れてくるのは、衆生の業力(ごうりき)のもとで現れたのではなく、諸仏が衆生の苦しみを忍ばれない慈しみの心から、この世に現れてくる最大の力量です。
その故に、私たちが観音菩薩の心である真言「オン・マ・ネ・ベ・メ・ホン」を唱える時、自分の慈悲心としての資糧(土台)を育てなければなりません。慈悲心の資糧(土台)があってからはじめて、六字大明呪の大悲の「鍵」を起動することができるのです。
もし自分には慈悲心がなければ、この真言を唱えても往々にして慈悲心が生じてきません。慈悲心を持つ人がこの呪を唱えると、そのエネルギーに応じることができ、そして諸仏の大悲の種子にも触発でき、諸仏の大悲である微妙な心が光を放ち、無数の衆生に御利益(ごりやく)をもたらします。
五台山の聖地では、私たち一人一人が蓮台を一つ持っており、みんながその蓮台の上で自分の心を正すことができます。これは千年古刹の復興だけではなく、中華民族の文化的復興でもありますが、最も重要なのは、私たちが解脱の優れた機縁を持つようになったということです。
古人はどれほど清浄であったことか。だから、私たちは八戒を受けるにしても清浄な阿羅漢、聖なる阿羅漢を思い出さなければなりません。私たちは聖地にいるとしても聖者たちを思い偲ばなければなりません。彼らの清浄な加護を得るように願ってやみません。
日语翻译:圆明老师
日语朗诵:蒋雨