如果阿弥陀佛现在就来接我们去极乐世界,我们去不去?

2025-03-20 08:58:00 发布: 人气:22


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ONE

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每个人都有各自的生活方式


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就像小孩子读书的时候有读书的规律,放假的时候又是另外一种生活方式,等到开学,又会“调频道”进入读书的状态。我们的人生也是如此。


当我们处于在家的模式,总觉得我有生日,有父母,有亲戚朋友、同学,有社会圈子,很难想象出家人怎么生活, 实际上出家生活也是一种生活方式. 进而想,极乐世界怎么活着呢? 极乐世界有没有父母?


我们这个世界还有胎卵湿化,极乐世界是莲花化生,也没听说谁在极乐世界过生日的。因为在极乐世界,你一生出来就知道时间是一个变量,它是不定的,空间也是不定的,所以极乐世界是无量光无量寿。


我们在娑婆世界生活习惯了,怎么想象极乐世界的生活?你敢不敢去极乐世界?想不想换一种生活方式?能做到这点不容易的,一般人不敢想,也没办法想象。


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TWO

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追求自由和解脱,也是需要培养的


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在这个地球上我们学佛了,甚至我们还来寺院做义工,来参与寺院的建设,远离家园过一种集体的修行生活,甚至进而能够出家,过出家人的生活,这是这个地球上很多人无法理解的,就是过去的你也不理解,但实际上这就是一种生活方式。


前面用学生的状态来比喻,然后再延伸到地球上,我们作为人这种动物的生活状态和极乐世界的生活状态。通过这样子次第的比喻,那我们就不会觉得极乐世界陌生,也能克服我们因为无法想象而恐惧的状态,这个就是需要在寺院里面慢慢培养出来的。


就像我们看过的一部电影里,主人公没有人培养他,他就不知道解脱是什么。他问:“为什么要过去?”说:“过去了就可以自由啊。”他问:“自由是什么?”他不知道。如果是我们学佛的弟子们,我们就会知道自由是什么,就会毫不犹豫地过去。



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THREE

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如弃敝履


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这个问题我也问过我的老师朱乃洪老居士。我在家做居士的时候,他专门给我讲《印光大师文钞》。有一次我问他:“如果阿弥陀佛现在就来接我们去极乐世界的话,我们去不去啊?”


我为什么这么问呢?实际上我在遇到他之前,就精进地在念佛了,但心中还有一种疑惑,就是说对这个世界还有一点挂碍,什么挂碍呢?就是我觉得我应当把我学佛的感受、我的思考、我的受用,学佛带来的法喜传播给更多的人。


所以,我做居士的时候就写血书,立志要弘扬净土,念佛求愿往生。因为我看到过阿弥陀佛有一副对联,阿弥陀佛站立着,一只手垂下来,叫“长伸手携娑婆客同归净土”。我觉得我也应当多结一些佛缘,多劝一些众生,帮助阿弥陀佛来完成祂的大愿,我从做居士的时候就这么发愿了。


当时我这位老师已经八十多岁了,他做过福建省佛学院的净土宗老师,圆拙长老请他去任教,又做过灵岩山中国佛学院分院的老师,是明学长老请他去的。


我现在都很清楚地记得我的老师,这位菩萨,他的语气非常坚定,说:“如弃敝履!”如果极乐世界现前接引我们去,我们抛弃这个身体、抛弃这个世界就像丢掉一个垃圾一样。他斩钉截铁地这样说,眼神坚定、神情坚定、语言坚定,身口意三业都坚定。



----三参法师

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もし今、阿弥陀仏が私たちを極楽世界に引率していくように迎えに来ましたら、我々は行きますか。


誰でも自分なりのライフスタイルがあります。


例えば、子供が学校に通っている時、勉強のルールがありますが、休みになるとまた別の生活様式になります。新学期が始まると、改めて「チャンネルを変えて」勉強モードに入ります。私たちの人生も同じです。


私たちは在家のモードにいるとき、いつも私には誕生日があり、親もいるし、親戚や友人、クラスメート、社会的なつながりがあると感じていますが、出家している僧侶の生活はなかなか想像がつかないです 。でも、実は出家もまた一つの生活様式です。さらに考えてみると、極楽世界ではどのように生きているのでしょうか。極楽には両親がいるのでしょうか。


· 私たちの世界には胎生((たいしょう、梵: jarāyu-ja) - 母親の胎内から出生するもの(哺乳動物ほにゅうどうぶつなど)。人間もこれに含まれる。)、卵生(らんしょう、梵: aṇḍa-ja) - 卵殻から出生するもの(鳥類ちょうるい、魚類ぎょるいなど)、湿生(しっしょう、梵: saṃsveda-ja) - 湿潤なじめじめしたところから出生するもの(虫など)、化生(けしょう、梵: upapādu-ka) - 業により何もないところから、別によりどころなしに忽然と出生するもの(天人や地獄の衆生など)がありますが、極楽世界は蓮の花から生まれます。極楽で誕生日を祝う人がいるという話は聞いたことがありません。なぜなら、極楽世界では、生まれた瞬間から、時間は変数であり、不定であり、空間も不定であることを知っています。だから、極楽世界は無量光と無量寿じゅです。


私たちはこの世界の生活に慣れ親しんだので、どうやって極楽世界の生活を想像できるのでしょうか。あなたは極楽世界に行く勇気がありますか。他の生活様式に変えたいと思ったりしますか。そこまで考える人たちも大胆な発想ですね。普通の人ならそこまで考える勇気さえもないし、想像もつかないでしょう。





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自由と解脱を求めるのも、育てなければなりません。


この地球上で私たちは仏教を学び、寺院に来てボランティアをしたり、寺院の建設に参加したり、家を離れて集団的な修行生活を送り、さらには出家して僧侶の生活を送ったりします。これは地球上の多くの人々が理解できないことです。昔のあなたも理解していませんでしたが、実はこれもまた一つの生活様式です。


先ほどは学生の状態から類推し、それを地球にまで広げて、人間という動物の生活状態を極楽世界での生活状態に例えました。このアナロジーを使うことで、極楽世界に対して違和感を抱かなくなり、想像できないからこそ抱いている恐怖の状態を克服することができるでしょう。


たとえば、以前私たちが見た「交差点の豚」という映画の中で(Pig at the Crossing)、主人公は誰にも教えてもらわなかったので、解脱とは何なのか分からないです。彼は「なぜここを通って行くの?」と尋ね、「通ったら自由になるから」という返事をもらいました。「自由とは何ですか。」彼には分からないです。私たちが仏教を学ぶ弟子であれば、自由とは何かを知り、躊躇せずにすぐそこを通っていくでしょう。

      古びた靴を捨てるのと同じように!




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私の師である朱内洪先生にもこの質問をしました。私はまだ在家信者の時、先生は「印光大師文抄」の特別講義をしてくださりました。「阿弥陀仏が今すぐやってきて、私たちを極楽世界に連れて行ってくれるとしたら、私たちは行きますか。」と尋ねたことがあります。


なぜ私はそんな質問を出したのかというと、実は彼と出会う前に、私は精進して念仏をしておりましたが、心の中でまだ疑念を抱いていたからです。というのは、この世界に対する未練が少し残っているからです。その未練とは何か。私は自分で仏教を学んだ気持ち、私の考え、私の体得、仏教を学ぶことで得た喜び 法喜(ほうき)をより多くの人に伝えようと思っていることです。


だから、私は在家信者だった時、血書(けっしょ)を書いて、浄土を普及しようと志を立てて、念仏して往生(おうじょう)を祈願してやみません。なぜなら、私は、阿弥陀仏が立っている姿で片手を垂たれ、「長く手を伸ばして娑婆の客の手をつないで、一緒に浄土に帰る」という対聯(ついれん)を見て大い啓発されたからです。従って、私ももっとたくさんの仏縁を結び、もっと多くの衆生を説得し、阿弥陀仏の大願を完成させる手助けをすべきだと思っています。私は在家信者だった時からそのように祈願しています。


当時、私の先生はすでに80歳を超えていました。彼は福建省仏教学院の浄土宗の先生を務めたことがあり、円拙せつ長老ちょうろうが彼を教授師として招請しました。また(蘇州)霊岩山中国仏教学院の分院の先生もしたことがあり、明学長老が彼を招請しました。


私は今でもはっきりと先生、その菩薩の言葉を覚えています。彼は「古びた靴を捨てるのと同じように!」と断固として答えました。もし、今極楽世界が目の前で私たちを迎えに来ましたら、私たちはこの体を、この世界を捨てるのを、ゴミを捨てるのと同じようにするべきです。彼はきっぱりそのように言いました。決して動じない目つきで、決して動じない表情で、決して動じない言葉で、身口意の三業(さんごう)もみなちっとも動じませんでした。





日语翻译:圆明老师;日语朗诵:妙叶


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