千年寒山诗 | 预告

2025-06-11 09:00:00 发布: 人气:32
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千年寒山诗 预告 前言

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前言

  他的诗风靡欧美声誉比李白、杜甫还高

  —被遗忘千年的诗僧寒山和他的诗歌

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His poetries are eulogized in Europe and America,their popularity surpassing those of Li Bai and Du Fu.

彼の詩は欧米においてたいへん流行り、李白や杜甫よりも名高い。


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日语翻译:圆明老师;日语朗诵:蒋雨

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在中国浩如烟海、群星闪耀的文学史上,有一个被人长期遗忘的名字,那就是唐代诗僧寒山。这位隐逸在天台寒岩的杰出诗人,一生留下三百零七首诗作,这些散题于竹木石岩和村野家壁上的诗偈,看似明白如话,实际另有奥旨。寒山的诗歌糅合了中国传统文化里儒道佛三家的精华,既有儒家的和的精神,又有道家追求心灵自由,不受万物困扰、归隐山林的淡泊情怀,更有佛家的精深玄妙、超凡脱俗、悲悯群生的气度。

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中国における数え切れないほど多くの文学作品や逸材の文人が輩出した歴史上、長い間大勢の人に忘れられていた一人の名前があります。それは唐の時代の詩人僧侶--寒山です。(浙江省)天台の寒岩(かんがん)というところに隠居していたこの抜きん出る詩人は、生涯を通して 三百七 首の詩を世に残しました。これらの詩は疎(まばら)らに竹木(ちくぼく)、岩石、田舎や野原にある家の壁などに刻まれて、一見して話し言葉のように見えますが、実は奥深い意味が含まれています。

寒山の詩歌(しいか)は、中国伝統文化の儒教、道教、仏教のエッセンスを混ぜていたもので、儒教の『和』の精神もあれば、道教において精神的な自由への追求、万物に縛られず山林に隠居する淡白した心持ちもあります。さらにまた奥深く、深遠で計り知れなく、世俗の外に超越して世間に染まらなく、衆生を慈しむ度量の仏教精神もあります。

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被遗忘的诗人

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“独去独归得自由。了无尘念挂心头。从今真妄都抛却。敢谓寒山第一流。”寒山诗歌以禅入道著称,台湾著名学者黄永武曾指出:“唐人中以诗来写禅理,写得最多,写得境界最精湛的,应该是寒山。” 这位富有神话色彩的唐代诗人,长期为世人所冷落,他的诗歌一直处于寂静的境地。正如诗人自己所预言的那样:“不恨会人稀,只为知音寡。忽遇明眼人,即自流天下。”到了二十世纪,寒山诗果真遇到了越来越多的“明眼人”,他的诗歌近代以来风靡欧美和日本,美国的嬉皮士运动甚至将他封为祖师爷,形成世界范围内的“寒山诗热”, 获得了几乎所有中国“主流诗人”们也许永远都无法与之比肩的巨大成就。


『独去独帰得自由。了無塵念挂心頭。从今真妄都抛却。敢谓寒山第一流』とある。「一人だけで行(ゆ)き、一人だけで帰るが、自由を取り戻す。何の俗世間のことも念頭に置かない。今日から真妄(しんもう)(真実と虚妄)を共に見捨てる。あえて言えば寒山が第一流である。」

寒山の詩歌(しいか)は禅をもって入道(にゅうどう)することで名高い。台湾の有名な学者である黄永武さんはかつてこのように評価しました。「唐の時代の人々の中で、詩をもって禅の道理を示し、最も多くの作品を世に作り出し、最も透徹(とうてつ)した境地を書いた人は寒山に間違いない。」

この唐の時代の神話的な詩人は、長く世間の人々に冷遇され、彼の詩歌は寂れた境遇に置かれました。詩人自身が予言したように、『不恨会人稀,只为知音寡。忽遇明眼人,即自流天下。』とあるように、「理会(りかい)してもらえる人が稀にも関わらず、恨むことは決してありません。知己(ちき)は寡(か)だけだからです。とある日、明眼(めいがん)(ものの真実を見通す目)のある人に出会えて、すぐに天下に広がり流行ります。」

20世紀になって、寒山の詩は予想通り本当にますます多くの明眼の人に出会いました。彼の詩歌は近代以来ヨーロッパ、アメリカ、日本で大人気を博し、アメリカのヒッピー運動は彼を元祖(がんそ)にまで封(ほう)じました。世界的な「寒山詩ブーム」となっています。中国の殆どの「主流の詩人」たちが永遠にこれに肩を並べられぬ巨大な成就を得ました。


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寒山诗在日本

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在日本,寒山诗以其质朴的语言风格、幽玄的禅宗境界、不入世浊的隐者情怀、回归自然的生态意识赢得了学术界和民间大众的持久喜爱。日本文化传统中的自然观和“山林情结”也让日本人对寒山诗中所反映的山林幽居和回归自然的生活状态心仪不已。诗僧寒山隐居于浙江天台山的寒岩,这种地理环境上的亲近关系以及日本人对于寒山生活态度和寒山诗幽玄意境的喜好,自然又为寒山和寒山诗在日本赢得了数个世纪的文学名声和无数的追随者,寒山诗自传入日本后便历久不衰。寒山诗的各种译本、注本和评论在日本纷纷问世,有关寒山的各种神话传说亦被改编成小说,寒山的形象也开始走入日本画史和神坛,寒山和寒山诗在日本的经典地位于是得以牢固确立。

 日本では、寒山の詩は、その素朴な言葉、深遠で計り知れない禅の境地、濁世(じょくせ)に染まらない隠者の心持ち、そして自然に帰るエコロジー意識により、学術界や民間の大衆から持続的に愛読されています。日本伝統文化における自然観と「山林のコンプレックス」で、日本人は寒山の詩歌の中に反映された山林隠居と大自然に還る生活状態に魅了されてなりません。詩人の僧侶である寒山は、浙江省天台山の寒岩というところに隠棲(いんせい)していましたが、この地理的環境も日本に接近しているし、そして日本人が寒山の生活態度や寒山詩にある奥深く微妙でとらえがたい情緒に対する好むこともあって、自然と寒山と寒山の詩は日本で数世紀にもわたって文学的な名声を博し、無数のファンが寄り集まりました。寒山の詩は日本に伝わって以来、衰退せずに長期的に語り継がれています。寒山の詩のさまざまな翻訳、注釈、評論が日本で次々と出版され、寒山に関するさまざまな神話や伝説も小説に改編されており、寒山のイメージは日本の絵画史や祭壇(さいだん)にも取り入れられるようになりました。従って、寒山と寒山の詩は、日本に於ける神聖な地位が固く確立されました。


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被遗忘千年的诗僧 寒山和他的诗歌

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从二十世纪五十年代起,寒山诗远涉重洋传入美国,寒山诗歌成为“垮掉的一代”和“嬉皮士运动”的精神食粮,他们将寒山奉为偶像,寒山诗被翻译成英语和法语为众多的读者所接受,其诗一时之间还风靡欧洲,在那里,他赢得了比李白、杜甫还要高的声誉。包括艾伦·金斯堡在内,美国“垮掉的一代”中有大批作家、文人、知识分子都投入了禅修与禅文化的学习之中,禅宗关于生命、世界与自我的理解,深刻地影响了一代美国人。在这些作品中,寒山被视作为自然精神的代表,寒山诗歌中那种借由自然体悟佛法,通过自我修行接近真理的态度被美国知识分子广泛接纳,并直接影响了生态主义文学的创作和各类生态主义社会运动的兴起。

20世紀の50年代以降、寒山の詩は海を越えてアメリカに伝わり、「ビート・ジェネレーション」や「ヒッピー運動」の精神的な糧(かて)となりました。彼らは寒山をアイドルと見なし、寒山詩は英語とフランス語に翻訳され、多くの読者に受け入れられました。彼の詩は一時的にヨーロッパで人気を博し、そこで彼は李白や杜甫よりも高い評価を得ました。アレン・ギンズバーグをはじめ、米国の「ビート・ジェネレーション」の中にいる大勢の作家、文学者、インテリが禅の実践と禅文化の勉強や研究に専念するようになりました。禅宗が生命、宇宙世界と自分に対しての捉え方は、アメリカの一世代の人々に深く影響を与えました。これらの作品の中で、寒山はナチュラリズム(自然主義)の代表者とみなされており、寒山詩歌に於ける自然を通じて仏法を体得し、自己修行を通じて真理に近づけるという姿勢は、アメリカのインテリに広く受け入れられ、エコロジーに基づいた文学創作や様々なエコに関する社会運動が興隆してきました。


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然而,由于文化的差异,这些西方作家和西方读者对于寒山的接受与传播始终存在着误读和偏差,他们对于佛教文化以及禅文化的理解,在很多时候也并没有触及到佛法的核心。“若能会我诗,真是如来母。”“多少天台人,不识寒山子。”诗僧 寒山以其 “三界横眠闲无事,明月清风是我家”的优游态度将至深般若智慧无碍地融于作品当中,诗化人间,种种方便教化众生。近现代禅宗泰斗虚云老和尚曾言:“法身清净若琉璃,肉眼看来那得知,欲识其中玄妙处,细读寒山百首诗。”千百年来,一直鲜有对寒山诗歌中这种甚深玄妙奥义境界的解读,与天台山有深厚因缘的慧日禅寺住持传喜法师对寒山诗歌推崇备至,视若至宝,应众弟子祈请对其诗中所开显的种种玄奥修道境界一一作了开示和解读,并指出寒山诗歌在当今躁动不安、贪嗔痴无有止息的时代背景下无亟于是一贴清凉的良药,其所表达的思想具有拯救世界的现实意义。


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しかし、文化の違いにより、これらの西洋の作家と西洋の読者が寒山に対する受け入れと伝播は、常に誤解したり、詩歌の真意から逸脱したりするといった不足の問題が残っています。彼らが仏教文化と禅文化に対する理解は、その核心部分に触れていないことがよくありました。 「私の詩が理解できれば、あなたはまさに如来の母なのだ。」 。「数多くの天台の人でも寒山のことを見極めることができない」。詩僧の寒山は、「三界(さんがい)で横になって、安らいで長閑(のどか)になって何もすることがなく、明月と爽やかなそよ風が我が家である。」というのんびりとした姿勢をもって、もっとも奥深い般若の智恵を匠に作品に融通(ゆうずう)させました。詩歌を以て、人間を感化させ、様々な方便を生かして衆生を教化します。近現代の禅宗の泰斗(たいと)である虚雲(きょうん)禅師(ぜんじ)は、嘗てこう仰っていました。「法身は清浄で宛かも瑠璃(るり)のようですが、肉眼から見ればわかるわけがあるものですか。その奥深い神秘を知りたいなら、寒山の百首(ひゃくしゅ)詩歌(しいか)を丁寧に読みましょう」と。

千年以来、寒山詩歌の中にあるこの甚深不可思議な奥義の境地に対する解釈は稀でありながら、天台山と深いゆかりがある慧日寺の住職である伝喜法師は、寒山の詩歌を絶賛し、至宝(しほう)と見倣して、大勢の弟子たちからのお願いに応えて、寒山の詩歌の中に示されたさまざまな深奥(しんおう)な修道境地をいちいち説明や解読しました。そして、特に強調したのは、寒山の詩歌が今日のような苛立って落ち着かない不安で貪瞋痴(とんじんち)(貪欲、怒りである瞋恚、真理を見失う愚痴のこと)に歯止めをかけない時代における清涼の良薬に劣らないぐらいです。その中に描かれた思想は世界を救う現実的な意味があります。



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被遗忘千年的诗僧 寒山和他的诗歌

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“一住寒山万事休,更无杂念挂心头;闲书石壁题诗句,任运还同不系舟。” 在 明朝初和明末,有着和寒山大士一般情怀、殊途同为的两位僧人楚石法师、石树法师分别写下精彩的和诗与寒山诗歌所昭示的境界作相互的衬托,有助后人进一步加深领会寒山诗歌的意义所在。传喜法师将之一并收入在其开示中以飨大众,让我们一起来体味一代诗僧寒山大士诗歌中那流转千年的醍醐妙味吧。

一たび寒山に住みて万事休す
 更に雑念の心頭に掛かるなし
 閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
 任運なること還(ま)た
 繋がざる舟に同じ

  (「万事休す」とは、ひとたび寒山に住むようになると万事に決着がついたということだ。これで雑念が心のどこかにひっかかることもない。これまで面倒だった万事がすうっと遠のいたのである。だから、閑かになって巌(いわお)の壁に詩をあれこれ書きつけてきた。

  こういう思うがままな生き方は綱を解かれた舟に我が身を委ねたようなものである。)


明代の初期と後期、寒山と同じように胸いっぱいの心持ちを持っているが、異なる表現法を通って同じ効果を得られる二人の僧侶、楚石法師と石樹法師は、それぞれ唱和(しょうわ)する素晴らしい詩をそれぞれ作り、寒山の詩歌によって明らかにされた境地と互いに引き立って、後世(こうせい)の人が寒山詩歌の奥義への更なる理解を深めるのに役立っています。伝喜法師は、その詩を一緒にこの解読の講義の中に取り入れて、みなさんのご要望に応えられています。それでは、一緒に寒山詩歌にある千年にもわたって伝えられてきた醍醐味(だいごみ)を吟味(ぎんみ)しましょう。 

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被遗忘千年的诗僧 寒山和他的诗歌

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