生
死
こ
そ
一
大
事
谛闲大师
开示
念佛的诀窍
生死事大
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生死こそ一大事
生死事大
一、
阿弥陀佛,谁不能念?而偏不易念;西方极乐,谁不愿生?而罕得往生,盖念佛之人,未得其诀耳。
阿弥陀仏の名号は、誰が唱えられないだろうか。 しかし、特に容易に始められない。西方極楽世界は、誰が往生を願わないだろうか。 しかし、稀にしか往生できない。それは念仏する者がその要訣を得ていないからである。
二、
教念佛而使之真切者,其唯死之一字欤!死字一字在念头,则境缘自然冷淡。情爱亦自轻微,名利势豪,向此处俱用不着。见闻知解,到此却使不行。四大各离,将何所靠,孤魂无主,安得自由?此时不见弥陀,恐逢罗刹,此时不入净土,恐入驴胎,纵无恶业,亦不免人道往返,即有善因,其争奈天福易尽。
念仏を切実なものとする教えは、「死」という一文字にある。この「死」という一文字を念頭に置けば、境遇や因縁(の興)は自然と冷め、情愛も薄れる。名利や権勢もここでは無用となる。見聞や知識もここでは通じない。四大(しだい、万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素)がちりぢり離散した後、何に頼ろうか。孤独の魂は所属や頼りになる主体がなくなり、どうして自由を得られるのだろうか。この時阿弥陀仏に逢わなかったら、羅刹(らせつ)に遇う恐れがある。この時浄土に入らなかったら、驢馬の胎に堕ちる恐れがある。たとえ悪業がなくとも、人間道を流離(さすら)うのは免れない。善因があっても、天道(てんどう)の福は尽きやすい。
死を常に念ずれば、切なる真摯な心が生まれるのだ
しかし、稀にしか往生できない。
それは念仏する者がその要訣を得ていないからである。
三、
莫云自有主宰,业果所牵,诚难回避。莫道本无生死,诚心未尽,总属轮回,莫视此事为缓,明日之事,今日不知,莫将此为轻,错过此身,沉沦永劫。
『我に主宰あり』と語るなかれ。業果(ごうか)に牽かれ(牽制される)、まさに避け難し。『生死はもともと無し』と説くなかれ。敬虔(けいけん)な信心が極致にならず純真でなければ、結局は輪廻に属す。この事を緩やかなりと見るなかれ。明日のことは今日知らない。これを軽んずるなかれ。この身(のチャンス)を逃したら、永劫(えいごう)に沈淪(ちんりん)する。
四、
视一切事,无如生死事大,则事事皆不切之事,于一切时,总做归命终时,则时时皆念佛之时,如是念佛,斯为切心,如是切心,斯生净土,须下死功夫,才成净业。常念死时节,方肯切心。
一切の事を「生死こそ一大事」ほどではないと見なせば、万事は全て現実離れ、実情にそぐわないこととなる。あらゆる時を臨終の時と見なせば、時々刻々(じじこっこく)が全て念仏の時となる。かくの如く念仏するのを、真摯な心という。かくの如き真摯な心こそ浄土に往生する。(全身全霊)必死に心血を注いて初めて浄業(じょうごう)は成就するのだ。死を常に念ずれば、切なる真摯な心が生まれるのだ。
日语翻译:圆明老师
日语朗诵:蒋雨