“婆婆妈妈”的师父讲的重要话,你听懂了吗?

2025-04-19 09:11:00 发布: 人气:14

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「くどくどしい」師匠の貴重なお話を、

領会できますか。


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日语翻译:圆明老师;日语朗诵:妙叶




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このような心を込めた『会話』、

あなたは大切にしますか?




寺院里一切都是现成的,无上大法不经意地就会扑面而来。对悟性高的人来说,哪个不是法呢?所以叫“心外无法,满目青山”。


寺院里哪怕没有法师在讲法,也一样在表法,因为但凡只要有一个道场在,就处处都是法。只不过我们这里啰嗦了一些,讲得好听点,叫“老婆心切”。什么叫“老婆心切”?就是婆婆妈妈的。




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仏法を語り合える人を大切


如果这个社会整体的佛学修养都比较高,佛教又处于一个昌盛的时代,这种“婆婆妈妈”还会被人看不起,因为过于琐碎了。但是现在这样细碎地讲了还听不懂呢,不讲,那是连个影子都没有了。讲了,耳朵听到,总算还听到一个名词,不讲,就更加稀里糊涂了。

其实,能经常听到有师父跟我们聊聊佛法,这个是很宝贵的,有些东西就算出去参学也听不到的。大多数同参道友都是默默各自打坐用功,要多少年才能这样无话不说。出去找也好、碰也好,能交流到这一步是很难的。




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善知識の功徳を讃えるには、殊勝なる因縁

必要である



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一个出家人,能追随到我们师父这样的善知识是很不容易的,但按规矩来说,也不能赞叹自己师父的,自己师父再伟大,也不可以四处宣说,逢人就说自己师父怎么怎么好,这是不可以的。师父再殊胜,佛法再殊胜,我们也不能满大街喊:“你们都皈依佛,皈依佛。”要有很殊胜的因缘,才能称赞师父的功德。国学大师梁漱溟活到九十多岁了,才说自己实际上是佛教徒,之前他都不声张的。


在儒家里,孝有三个层次:首先是不辱没宗亲。这个是最起码的底线,向上还可以光宗耀祖,造福国家和社会。一个对国家、对社会有巨大贡献的人,才能够令整个家族倍感荣耀。我们出家人也同样如此。



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これらの仏法は実践的で肝要である



每个人的生命都是很短暂的,所以修行这条路不能犯错,而且对它还要格外珍惜,要一日千里,修行要密集、高效才能有所进步。

别看我们这样像拉家常一样的聊着佛法,其实这很重要的。我师父经历艰难之后回到普陀山,早期的时候还能跟一些弟子们讲讲佛法,到后来,只有晚上没有其他人之后,我们才能私下里和师父请教些佛法上的事。

我们现在法堂里播放的这些,都是具有戒定慧的内涵的,是非常实用、非常重要的,这些跟我们的实际生活都是相联系的。这些教法,我们要认真对待,努力实践。


——三参法师


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日文版本

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「くどくどしい」師匠の貴重なお話を、領会できますか。


このような心を込めた『会話』、あなたは大切にしますか?

お寺の中では、すべてが既に整っており、最も高い法は何気なく降りかかってくる。悟性(ごせい、悟り得る素質)の高い人にとって、どれが法でないと言えようか。だからこそ「心外無法、満目青山(しんげむほう、まんもくせいざん)(心のほかに法はない。見るもの、聞くもの、すべて自分と受け取っていくのだ。心の外に法はない。)」というのだ。寺に説法する僧がいなくとも、そこはすでに法を表している。なぜなら、道場が一つ存在しているかぎり、全てが法そのものだからだ。ただ、ここでは少しくどいが、美しく言えば、「老婆心切(ろうばしんせつ)」という。「老婆心切」とは何だろうか。それは、くどくどとあれこれ気を回し、余計なほどに親切にすることだ。

仏法を語り合える人を大切に

もしこの社会全体の仏教教養が高く、仏教が繁栄している時代であれば、このような「くどくどしい話」は、かえって煩雑すぎると軽蔑されるだろう。しかし今の状況では、こうして説明してもまだ理解できないのに、説かなければ、その影すら残らないだろう。説けば、耳に入って、せめて仏法の名は聞こえる。だが説かなければ、ますますわけがわからなくなるだろう。

実は、師匠から仏法の話を聞けるというのは、本当に貴重なことである。中には、外へ参学に行っても聞けないようなことがたくさんある。ほとんどの修行の仲間たちは、黙って各自で座禅に励んでいることで、このように何でも話し合えるようになるのは何年もかかるのだろうか。外に師匠を探しに行くにせよ、偶然出会うにせよ、ここまで交流できるのは、とても難しいことである。

善知識の功徳を讃えるには、殊勝なる因縁が必要である

出家者として、私たちの師匠のような善知識(ぜんちしき)に追随できるのは容易なことではない。仏門のしきたりから言えば、自分の師匠を讃えることは許されない。たとえ師匠がどれほど偉大であっても、あちこちで「私の師はこんなに素晴らしい」とピーアールしてはならない。師がどれほど殊勝(しゅしょう)なお方であろうと、仏法がどれほど尊いものであろうと、私たちは街中で「みんな仏様に帰依しなさい」と叫ぶわけにはいかない。師の功徳(くどく)を讃えるには、非常に殊勝な因縁(いんねん)が必要なのである。

国学の大家である梁漱溟(りょうしゅうめい)は九十歳を超えて初めて、自分が実は仏教徒だと明らかにした。それまでは一切公にしていなかったのである。儒教においては、孝行は三つのレベル分けがある。まず一つ目は、「祖先の名誉を汚さないこと」。これは最低限の基準である。さらに上を目指せば、「祖先に栄誉をもたらし、国家や社会に貢献すること」に進む。国家や社会に大きな貢献をした人物こそ、その一族全体に大きな栄誉をもたらすことができるのだ。私たち出家者もまた同様である。

これらの仏法は実践的で肝要である

人の命は束の間(つかのま)である。故に、修行の道で過ちを犯すことは許されない。むしろ、一層大切にし、日に千里を行く勢いで、密集かつ効率的に修行を積まねば、真の進歩は得られない。

一見すると日常的な雑談のように見えるこの仏法の話も、実は非常に重要なものだ。私の師匠は苦難を乗り越えて普陀山(ふださん)に戻られた後、初期の頃はまだ弟子たちに仏法を説くことができた。しかし時が経つにつれ、他の人がいない深夜だけが、師匠に密(ひそ)かに法を問うことができた。

私たちは今、法堂(はっとう)で流されているこれらの内容は、すべて「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の意味を含んでおり、極めて実践的で肝要(かんよう)なものである。これらは私たちの実生活と深く結びついている。これらの教えは、私たちは真剣に受け止め、努力して実践する必要がある。


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频繁刷手机,我们的心灵很容易被碎片化,不要沉溺其中,学会自我节制,通过学习佛法来有效滋养并净化我们的心灵,一起回归心灵,保持身心灵的健康。

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