学佛问答|修行人能否养宠物?

2025-06-07 09:12:00 发布: 人气:55



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信众:修行人能否养宠物?


开示:像前几天讲我们寺庙里不能养这些东西一样,并不是说我不喜欢,我们师父都很喜欢小动物。但是因为寺庙里是非常特殊的。这个社会芸芸众生都在干吗?就指望我们这些人,修行人能把佛法体验在身心世界的话,向这个世界放光,能救救这个世间。作为一个菩萨来说,本身菩萨就是有很大慈悲心的,但是佛又要求菩萨不能够养猪猫狗这些东西。


仏法の質問応答:修行者はペットを飼ってもいいですか

 

 

信者:

   修行者はペットを飼ってもいいですか。

 

開示:

   例えば、先日、私たちの寺ではこういったペットを飼ってはいけないと話しましたが、私はそれらが好きではないという意味をしているわけではありません。それどころか、私たちの師僧さんはみんな小動物が大好きです。しかし、寺は非常に特別な場所です。この社会では、大勢の人々がみんな何をしているのでしょうか。彼らは、私たち修行人に仏法を心身の世界で体験し、この世に光を放ち、なんとかこの世界を救うことを期待しています。菩薩としては、菩薩自身が大いなる慈悲心を持っていますが、仏様は菩薩に豚、猫や犬といった動物を飼うことを禁じています。



这些众生也是这样,它也没有这个福报,三宝地里,四众弟子对它又那么好,那它的福报会消掉很多。它若真的也会念佛,跟着我们绕佛打座,哪一个狗跟在我们后面,我们“南无阿弥陀佛”,它也“汪汪”,我们打坐它也跟着我们打坐,那只狗你供养它也不错,证明佛法有多伟大。


これらの小動物も同様です。彼らにはそのような福報がありません。三宝(さんぼう)


の地で、四衆弟子(ししゅでし)が彼らに優しく接するし、その福報はたくさん減ってしまうでしょう。もし彼らが本当に仏陀の名号を唱え、私たちと一緒に仏様をぐるぐる周り、

座禅を組んだりすることができたり、我々の後ろについて、我々が『南無阿彌陀仏』を唱え、その犬も『わんわん』と吠えることができたり、我々が座禅するときその犬もついて座禅できたら、その犬を供養しても良いでしょう。それは仏法の偉大さを証明することになります。




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反过来说它又不懂,呆头呆脑的,这是庙还是平常住户,你们是修行人还是普通人,它根本没办法区别。它的内心里对它好就好,打它就是不好。我要打它,它也跑。不像我们觉悟的会感恩,你打它尾巴一夹逃掉了,说明它没有智慧来分辨。如果占去一个修行人的时间,那它罪过是很大的。反过来说,打扰了修行人的修行、清净,那罪过更大。


しかし、彼に話しても「猫に小判、豚に真珠」ということで、さっぱり理解できなく、頭が悪くて鈍感です。ここはお寺か普通の世帯か、あなたたちが修行者か普通の人々かなどさっぱり区別がつきません。優しく扱われたら喜び、打たれたら君がわるいと思うだけです。彼らを打とうとする時に、すぐに逃げてしまいます。私たちのように自己反省しその恩をありがたく思うことができず、あなたは彼らを打つ時に、彼らはすぐに尻尾を巻いて逃げてしまいます。彼らには分別できる智慧がないことを証明しています。もし修行者の時間を取らせてしまったら、その罪がとても大きいです。さらに、修行者の修行や静寂を妨げる場合は、その罪はさらに大きくなります。



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一心一意

另外,作为修行人要一心一意的,佛法难闻今已闻。要把所有的精力都放在对佛法的思维上,修行上,不要让小事情来打扰自己。佛陀为了这个还讲了自己往劫里的故事,佛陀为这还受过苦。佛陀以前在鹿野苑修行的时候,把家里的富贵放弃了,到鹿野苑做一个仙人、修行人。


また、修行者としては一意専心(いちいせんしん)でなければなりません。仏法は難しく聞けるものですが、今聞けるのですから、すべての精力を仏法の思索や修行に注ぐべきです。些細なことで自分を悩ますべきではありません。仏陀は、このことを説くために、自身の過去の因縁を語ってくださいました。そのことの故に、ブッダは苦しみを受けたことがありました。仏陀は、以前鹿野苑(ろくやおん)で修行されていたとき、家財(かざい)を捨て、鹿野苑に行って、仙人になり、修行者となりました。


那时,有一只母鹿生下一只小鹿后就死掉了,他看到那只小鹿这么可爱,那个眼睛大的跟外星人一样,很可爱。当时佛陀的前身就收养这只小鹿,出去化缘喂它,把这只小鹿养大。有一天佛陀的前身去世了,当他自己眼睛睁开来的时候,他发现自己也变成鹿了,他投胎到鹿里面去了。


そのとき、一匹の雌の鹿が子鹿を産んだ後で死んでしまいました。その子鹿がとても可愛くて、大きな目がまるで宇宙人のように見えたので、仏陀の前世はその子鹿を引き取り、托鉢して餌をやり、その子鹿を育てました。ある日、仏陀の前世が亡くなったとき、目を

開けると、自分が鹿に生まれ変わっていることに気づきました。

 


这时候,他才觉悟到因为我前世收养了这只小鹿,对这只鹿产生了很大的执着,心里面一直牵挂着,打坐也都是它的影子,结果死了之后就投胎成鹿。他知道错了,然后自己就绝食。这只小鹿死了之后再次投生成人,这时还记得前面三世,然后再出家修行。


前世でその子鹿を引き取り、その鹿に大変執着してしまったため、いつもその鹿を気がかりにして、坐禅を組むときもその子鹿の影が頭に浮かび、結局、死んだ後、鹿に生まれ変わってしまったのです。彼は間違っていることに気づき、自分で絶食しました。その子鹿が死んだ後、再び人間として生まれ変わり、その前の三回の前世を覚え、再び出家して修行しました。



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佛陀讲祂前身的故事,就是警告我们修行人,不能爱上这些小动物。爱佛还来不及呢!要观想佛,十六观,观想极乐世界,观想我们修行的,中观的观,“非有非无,非非有非非无”要观这个,不可思议而思议之,要思议那个不可思议的,忙这个还来不及呢!


仏陀は、ご自身の前世の話を語ることで、修行者が小動物のことを愛してはならないと警告してくださいました。仏陀を愛する時間も足りないからですね。仏様を瞑想し、16観を瞑想し、極楽世界を瞑想し、修行のことを瞑想し、中観(ちゅうがん、)の観を瞑想するべきです。

「非有非無、非非有非非無」(ひうひむ、ひひうひひむ、いっさいのものは、有るのでもなく無いのでもない、有るのでもなく無いのでもないというわけでもなく、いずれにも偏らないものであること。中道。)を瞑想し、不可思議を思議(しぎ)するべきです。それだけでも時間が足りませんね。


观狗、鸡、猫那很容易观的,凡夫的念头。要了生脱死,怎么了生脱死?菩萨是慈悲的,但是在菩萨戒经里却严格地写着:不可以畜养猫、狸、猪、狗,否则犯戒。像我们那个小狗,我们这里的饲养是很简单的。那鸡,后面院子那么大,不要像什么小家碧玉一样的弄个鸡笼。弄个鸡笼干吗?地方那么大,也不要你喂,那么多草,春天地上全是草。


犬や鶏、猫を瞑想するのは簡単で、凡夫の心念だからです。生死を超越するにはどうすればいいでしょうか。菩薩は慈悲深いですが、菩薩戒経には厳しく書かれています。「猫や狸、豚、犬を飼ってはならない。さもなければ破戒になります」とあります。私たちの寺の犬は、飼い方がとても簡単です。鶏も、裏庭が広いので、わざわざ貧しい家の若くて美しい女性のように鶏小屋を作ってあげなくてもいいでしょう。わざわざ鶏小屋を作る必要があるでしょうか。ここは広いし、餌をやる必要もありません。春には地面に草がいっぱいあるので、その草を食べればいいでしょう。


我蹲在那里看,它就忽忽跑过来,对我左看看右看看,我没给它吃的,它就低下头去啄草吃,蛮好的,最多给它撒些菜。不要在一处,撒在一处你害它,那样它慢慢就依附人了,别人醉眼朦胧地一把抓去下酒去了。这地方这么大够幸福了,而且吃也不成问题,也不会有味道,否则你在一处养,一段时间就有鸡粪臭。


私はそこにしゃがんで見ていると、鶏が寄って来て、私を左から覗いたり右から覗いていました。私が餌をやらなかったので、鶏が頭を下げて草をついばみました。それで十分です。せいぜい野菜を少し撒くだけです。一カ所だけに撒くと、彼らは人間に依存してしまうので、それは彼らを害することになります。なぜかというと、お酒で意識が朦朧な人間が、彼らを捕まえて酒のお菜にするからです。ここは広いし、幸せです。食べ物にも困りませんし、臭い匂いもしません。そうでなければ、一カ所だけで飼うと、時間が経つとともに鶏糞(けいふん)の臭い匂いがしてきます。

 

那狗也是,这么大的庙,给它弄个笼子,你到底是为它好呢,还是害它?那个猫是因为要吃鸟,没办法给它关在笼子里。天大地大,让它跑嘛。跑还要看,不打扰还行。给它关在一处,它就会有看家护院的本性,就“汪汪”叫。我们是顺带带的,不可养。但是如果不妨碍,那也无所谓。

 

犬も同じです。こんな大きな寺で犬小屋を作ってやるのは、彼らのためになるのか、彼らを害することになるのか。猫は鳥を食べるので、仕方なく小屋に閉じ込める必要がありますが、天地が広いのですから、犬を走り回らせておけばいいでしょう。走り回るだけでも、チェックする必要があり、人の邪魔にならなければいいんですけど。一カ所に閉じ込めると、留守の家を守る本能が引き起こされ、「ワンワン」と吠えるようになります。私たちは、ただついでにということだけですが、わざわざ飼ってはいけません。しかし、もし妨げにならないのであれば、それは別に問題がありません。


有的还怜悯它,你稍微起心动念不对的话,下次转世做个母猫,那就跟它谈恋爱去了,这个小猫倒是投胎变人了。所以世间很多都会阴差阳错,一念之差,完全不一样了。修行人要特别的注意,念头的危险要特别注意。


時には、彼らを哀れんでしまうこともあるでしょう。でも、少しでも間違った心念を起こすと、来世は雌の猫に生まれ変わり、彼らと恋愛関係を持ってしまうかもしれません。逆に、この子猫が人間に生まれ変わりました。世の中には、思いがけずすれ違いが起きます

ので、一念の違いで、すべてが変わってしまうことがよくあります。修行者としては、特に注意しすべきで、心念(しんねん)の危険には特に注意する必要があります。




----三参法师



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日语翻译:圆明老师;日语朗诵:蒋雨


END



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